THE WORLD【無駄親子】

 ジョルノがネアポリスの郊外に邸宅を構えたのは、パッショーネを掌握して1年あまりが過ぎた頃だった。それまではミスタが娼婦たちに借りていたいくつかのアパートや寄宿舎を転々としていたのだが、「すこしは落ち着いて過ごせる環境を整えるべきだ。」というフランス人らしい助言をポルナレフから得て、かつては貴族の所有する邸宅だったという今の家におちついた。小高い丘にある邸宅は地理的に自然の要塞に恵まれており、ジョルノの能力に助けられた草木が覆い繁る庭は一見荒れているようで、人々の目からジョルノの存在をうまく隠していた。まさかこの鬱蒼とした茂みの奥に大理石でできた白く輝く邸宅があり、そこに年若く美しい悪の王が住んでいるなどとは誰も思うまい。

 ジョルノが殊更気に入っているのは、100年以上前に建てられたという鉄とガラスで出来た温室だった。温室には空色のタイルが敷き詰められており、高い天井にはめられた古いガラスは所々水面のように歪んで、ネアポリスの強い日光を遮ってくれた。そこはあたたかく平和な、小さな理想の世界だった。世界中の花々が自分たちの魅力を競うその場所で、一人静かに紅茶を飲む時間をジョルノは愛していた。時にはスタンド能力を与えつつ、ジョルノはその小さな世界の植物の世話に心を砕いた。生業から手を血で汚すことは厭わない癖に、熱帯の鮮やかな花々が醜く枯れ果ててしまうことには、どうしても耐えられなかった。はじめのうちは一生懸命に花の世話をするジョルノに対し、「女にも同じくらいマメにしてやりゃあいいのによ。」と小言を垂れていたミスタも、やがてはあまりのジョルノの熱心さに口を出さなくなった。ジョルノが邸宅にうつって半年もたった頃には、人を黙らせるくらいの絢爛な美しさで、その古い温室は溢れていた。

 ミスタがポルナレフを連れてフィレンツェへ出張した次の日、ジョルノは半月振りにタスクの無い一日を得た。フーゴの計らいなのだろうが、何ひとつ予定の無い一日は今のジョルノにとってどんな宝石よりも貴重だった。自分に流れていると言うイギリス貴族の血がそうさせるのか、ジョルノはコーヒー党の多いイタリア人とは違って、休息のひと時には必ず紅茶を飲んだ。だからその日も人払いをして温室に篭り、熱帯の花々の前に置いたテーブルセットに腰掛けて、ゆったりと紅茶を楽しむつもりだった。しかしトレイを持ってテーブルセットまで歩いていたジョルノは、結局温室の中で足を止めるに至った。目指していたテーブルの上に置かれた、まったく身に覚えの無い物が目に入ったのだ。

(ミスタがフーゴの忘れ物だろうか。)

 それは古めかしい青い薬瓶だった。高さは15cmほど、ジョルノのほっそりとした人差し指と親指で輪を作ったくらいの太さのそれには、何か砂の様な物が詰まっているのが見てとれた。ジョルノはテーブルに近づくとトレイを置き、その瓶をもう少し調べようとした。しかしそれは叶わなかった。ジョルノが瓶に手を伸ばそうとした瞬間、その瓶は既にテーブルの下に落ちて、割れていた。

「!」

ジョルノはこの感覚を知っていると思った。時間を吹き飛ばし、結果だけを残すスタンドをジョルノはその身をもって良く知っていた。瓶が訳もなく、自分の知らぬ間に落ちて割れるはずがない。

(時が止まった訳でもあるまいし。)

 何かが変だと思わなくてはならない状況だった。途端に緊張感が背中を走ってきて、首筋の星が引き攣るように痛むのが分かった。ジョルノは周囲を警戒しつつ、割れた瓶に視線を落とした。割れた瓶から溢れているのは砂だった。橙色の少し混ざる褐色の、粒子の細かい乾いた砂だ。

(もしこれが何かの一部だとしたら、僕が命を与えればその場所に戻るはずだ。)

 ジョルノは自身のスタンドでその砂に触れた。しかし、蝶にするのが都合が良いだろうと思って触れたのにも関わらず、その砂はジョルノの意思に反してみるみる緑の葉を伸ばしてしまった。ジョルノが慌ててスタンドを引っ込める頃には、瓶と砂は跡形も無く消えうせて、そこには黄色い薔薇の株だけが残された。ジョルノの膝に届くか届かないかという背丈の樹型の薔薇は、濃い緑の葉を繁らせ、枝には立派な棘があり、そして鮮やかな黄色い花弁を持っていた。

 ジョルノは美しいものに、特に美しい花には目がなかった。目の前に生まれた黄金色の薔薇には、ジョルノの審美眼を喜ばせる程の鮮烈な美しさがあり、ジョルノはその薔薇にすっかり毒気を抜かれていた。

(……薔薇は薔薇だ。しばらく様子を見ても悪くはない。)

 そうしてジョルノは、温室の隅で輝く黄色い薔薇を、その美しさに免じて生かすことにしたのだった。

 砂から薔薇を生み出したその夜、ジョルノは不思議な夢を見た。それは温室の夢だった。温室でいつものように腰掛けて紅茶を飲んでいると、突然背後から声を掛けてくる人物があるのだ。

「ここへ座っても?」

現実の世界においては、ジョルノは温室に近しい人間しか招かなかった。温室はジョルノにとって理想の調和を象徴する小さな世界であり、ジョルノが真に懐に入れた人物だけが温室の門を潜ることを許されていた。だからジョルノは夢の中で声を掛けてきた人物の事を、驚きながらも許さざるをえなかった。既に温室の中に居るということは、その人はジョルノが招いた人物であるからだ。

「どうぞ。幸いにもティーカップは二つありますし。」

「ああ、ありがとう。」

 やがて視界にはその人物の足もとが入ってきた。黒く輝くオックスフォードシューズや灰色のトラウザーズは、いかにも質が良さそうだった。ジョルノはその人の低く落ち着いた声音にも好感を持った。人におもねるような慇懃さはなく、けれども威厳を湛えた口調はジョルノとの間に適切な距離感をもたらしていた。ジョルノはその人の顔を見たいと思って自ら上を向いた。しかしネアポリスの強い日光がその人の背中に当たって逆光となり、顔を見ることは叶わなかった。その人が目の前に腰掛けても状況に変わりはなかった。ただ光の中に浮かぶ輪郭から、その人が体格に優れ、美しい容姿の持ち主である事が察せられた。ジョルノは不自然にも余分にテーブルに用意されていたティーカップに紅茶を注いでやり、その人といくつかの話題を消化した。その人は機知に富んでいて、且つ素晴らしい聞き手だった。ジョルノは年若くしてギャングのボスになったがために、もうかなりの間強い緊張を強いられてきた。ジョルノは徹底的にカリスマを演じなくてはならなかったし、目に見える失敗は何一つ許されなかった。傘下の古狸達を掌握するのは至難の技であり、それは殆ど不可能に近い事業だった。今でこそ危うい均衡を保っているが、ジョルノが少しでもよろめいたなら、彼らはあっという間にジョルノに牙を剥くだろう。そういう状況にあって、更にジョルノの頭を悩ませるのがSPW財団や空条承太郎の存在だった。ジョルノは自分に流れるジョースター家の血や吸血鬼の血など全く信じていなかった。ジョルノには自分の意志で自分の道を切り開いてきたという強い自負があったのだ。だからこそ、彼らが自分に向ける警戒が鬱陶しくてたまらなかった。そして、そういう心の騒めきを、全て吐露できる相手をジョルノは持っていなかった。残念ながら、それにはミスタでも、ポルナレフでも役不足と言わざるを得なかった。ミスタにはジョースター家とそれに纏わる因縁の事が理解できないし、ポルナレフは空条承太郎の盟友という一面があり、それがジョルノにとっては厄介な時があった。結局ジョルノは夢を叶えて尚、未だに幼少期と変わらず大きな孤独を抱えていたのだった。しかしこの夢の中の人物は理想的な聞き手だった。ジョルノが婉曲な表現で気持ちを吐露するたびに、まるでお伽話に出てくる賢者の様にジョルノの気持ちを汲み取って、適度な共感と優れた指摘を示してくれるのだ。

「君はよくやっているようだ。君の持つ駒はいずれも優秀のようだし...しっかり褒美を与えてやるといい。だが新参者には気をつけるべきだ。特に急におもねって近づいてきた者に対しては。兵士は尊敬と恐怖によって主君に忠誠を誓うのだ。だからこそ君は、もう少し強く指揮棒を振らなくてはね。」

 ジョルノは深く頷くと「分かったよ。父さん。」と言った。ジョルノは自ら口にしたその言葉に驚いた。なぜ自分はそんな事を口走ったのか。

「私はお前の味方なのだよ、ジョルノ。私だけだ。私だけがお前を真に愛してやれるのだ。」

 その言葉を聞いたジョルノは、思わず目頭が熱くなるのを感じた。

(きっとこの人は、僕の父親なのだ。そしてこの人は、僕の意志を尊重し、そして自分を理解してくれる唯一の人なのだ。これは血を越えた魂の繋がりだ。この人が承太郎に殺された邪悪な吸血鬼だというのだろうか?そんなはずは無い。目の前にいるこの人は聡明で温かい人だ。僕には分かる!)

 乾いた砂に水が染み込む様に、ジョルノの孤独は急速に癒えていった。父とおぼしきその人が親しげに自分をのことをお前と呼び、そして更に重ねて自分の名前を呼んでくれたことが、何にも代え難いほど嬉しかった。ジョルノは光に埋もれたその影に触れようとして手を伸ばしたが、結局触れることはできなかった。気がついた時には目の前に父の影はなく、代わりにあの黄金色の薔薇があるばかりだったのだ。夢はそこで終わり、目覚めたジョルノは自分が枕を濡らしていることに気がついた。

★★★

「ジョルノ、お前少し見ない間にやつれてねえか?働き過ぎなんだよ。おいフーゴ、お前が予定を詰めすぎなんだろ。なんとかしろ。」

「いいやミスタ、フーゴはきちんと僕が休める様に配慮してくれていますよ。最近仕事が面白くてね。ついやりすぎてしまうんです。僕、自分でも知らなかったのだけれど、自分の手足の様に組織が動くのを見るのが楽しいみたいで。」

「しかしジョジョ、確かに前と比べて少し痩せています。ちゃんと召し上がってください。ポルナレフさんからも何か言ってくださいよ。」

「仕事が楽しいのは良いことだと思うが...仕事は身体が資本なのだから、しっかり休まなくてはね。」

「ええ、勿論ですよ。」

 ジョルノは微笑みながら赤ワインを口に含んだ。ミスタは馴染みのトラットリアでジョルノ達と夕食をとりながら、ジョルノの様子に内心首を傾げていた。ほぼ一月振りに昔からの面子で食事をすることになったのだが、目の前のジョルノは明らかに痩せていた。仕事が楽しいと語る赤い口は前より饒舌に動き、確かにミスタにも組織が以前よりも都合よくまわっている感覚があった。しかし何か妙だった。ミスタにはその理由が分からなかったが、果たしてジョルノは昔からこんな風に鷹揚に笑う男だったろうかと思った。今のジョルノには何やら余裕めいたものがあり、以前は良く纏っていた張り詰めた糸の様な緊張感が、その不自然な笑みの向こうにうまく隠されていた。瑣末なことなのかもしれないが、どうやら食事の好みも変わったらしかった。前はそれ程好きではなかったというフルボディの赤ワインを飲み、血の滴るようなレアステーキを喜んで口にしている。少し前まで、メイン料理にはシーフードの方を良く選んでいたと思ったのだが。

「ポルナレフさん。ジョルノには何かあったんだろうな。おかしいぜ、あいつは絶対に何かヤバイ。」

 ミスタはジョルノ達と別れて乗った帰りの車でポルナレフに囁いた。それは多分野生的な勘だった。ミスタはその桁外れに鋭い勘によって、これまで幾度となく死線を潜り抜けて来たのだ。

 ジョルノはトラットリアから帰って邸宅に着くと、直ぐに温室へと足を運んだ。一月の間にあの薔薇は異常とも言える成長を見せていて、ジョルノの肩に届くほどの樹に成長していた。水色のタイルを割って根を伸ばした黄色い薔薇は、豪奢に重なった花弁を持ち、暗闇の中にあっても、どこか毒々しいくらいの強い色でジョルノの目を刺した。

 ジョルノはポケットからナイフを取り出すと、迷いなく、パッと自らの手首を切った。飛び散った鮮血が花弁にかかり、黄金と紅の強烈な対比をつくったのも束の間、その血は瞬く間に花弁に染み込んで消えていった。ジョルノの血を吸った薔薇は益々輝きを増して一気に成長した。枝は太く伸びて自重を支え、ジョルノがハンカチで自身の腕を治し終わる頃には、ジョルノの背丈ほどに成長した。

「おやすみなさい。また後で。」

 ジョルノはふっと燭台の火を消し、ひたひたと温室を去った。

 ジョルノが薔薇に血を与える様になったのはこの2週間あまりの事だった。夢の中で会った父なる人物が、相変わらず顔は見えないものの、どうやら疲れているらしいことに気づいたのだ。それは僅かな雰囲気の違いによるものだった。

「お疲れなのですか?」

「いいや。陽に当たり過ぎたのだ。この温室には陽を遮る物がないからな。ああ、それに少し喉が乾いた。まあ、そんなことはどうでもいいのだ。さあジョルノ、それよりシチリアの件を私に話したいのではないかな...?」

 それきり父は話題を変え、最近離反の素振りを見せているシチリアの一派に関してジョルノから意見を引き出した。その議論はかなり有意義な結果に終わり、ジョルノはそのあと直ぐにシチリアの一族を世代交代させることに成功したのだった。ジョルノはフーゴからその知らせを受け取るや否や、大いに喜んで温室に駆け込み、愛する薔薇を優しく抱きしめた。樹型の薔薇は立派な棘を持っていたから、ジョルノの白い手や頬にはいくつもの傷がつき、そこから血が滴った。ジョルノは薔薇がその僅かな血を吸って、美しく輝く瞬間を見逃しはしなかった。

(成る程、喉が乾いたとはこの事か。)

 ジョルノはそれから薔薇に血を与える為に食生活を変えるようになった。多くの肉を食べるようになり、合わせて飲む酒の種類も変えた。どんなに食べても血をつくるには足りないような気がした。ジョルノは薔薇に対して、幾らでも自らの血を与えてやりたかったのだ。

★★★

 黄金色の薔薇の樹は遂にジョルノの背丈を超えて、もう少しすれば2メートル位の大きさになるだろうと思われた。その樹は少し変わった形をしていて、人間の脚のようなアーチと、両腕のように広がる枝を持っていた。温室の様々な花はいつのまにか枯れ、空色のタイルの間からは雑草が無造作に伸びていた。温室で輝く花は、今やジョルノの愛する黄色い薔薇だけになってしまった。ジョルノはもう、誰一人として温室に入れることを許さなかった。ミスタも、フーゴも、ポルナレフだって許しはしなかった。この薔薇を人目に触れさせてはならないのだ。

(特にそう、空条承太郎にだけは嗅ぎつけられてはならない。)

 ジョルノはそう思っていた。その思いを夢の中で吐露すると、光の中にいる父の影は珍しく大きな声で笑い、饒舌に語った。

「ああジョルノ!お前にとってあの男など既にとるに足らない存在なのだよ!あの男の過度な警戒はほとんど恐怖の裏返しだ。つまり、いまやお前の方があの男よりも高い所にいるということなのだ。お前は私と一緒にもっと高い所に登らなくてはならない。そう、お前はあの男をただ哀れんでやれば良いのさ。笑ってやりなさい。お前は充分に強いのだから。」

ジョルノは大きく頷き、来るなら来いと決意した。

(奪えるものなら奪ってみよ。僕の覚悟を試すが良い。)

しかしその日は、ジョルノが思うよりも早くやってきたのだった。

「ジョルノ、客だぜ。」

 書斎で仕事を片付けていると、珍しくミスタが訪ねて来た。ミスタは謂わば実動部隊の親玉で、常に部下を指導して外にいるから、書斎までやってくることは最近では稀な事だった。フーゴから来客の予定は聞いていなかったから、大方ミスタと仲良くしているトリッシュあたりが遊びにでも来たのだろうと思って顔をあげたのに、ミスタの後ろに続けて部屋へ入って来たのは、あの空条承太郎だった。

「……何故あなたがここに?」

 ジョルノの一言によって書斎の空気は瞬く間に凍りつき、物音ひとつたてられないほどの緊張感が部屋に満ちた。ネアポリスのあたたかな陽射しが突然雲によって遮られ、三人の顔は暗く翳った。

「ポルナレフに用事だ。でなければわざわざここへは来ない。」

「ああ、ご挨拶だなんて、結構でしたのに。お掛けになってください。紅茶か、コーヒーでも?」

「いいや、用事はもう済んだからな。」

 ミスタが小さく溜息をついて腕に抱いた亀の甲羅に視線を落としたのが分かった。太陽が雲から顔を出し、空条承太郎の顔に陽射しが当たると、そのエメラルド色をした目が金に光った。その冷たく光る目を見て、ジョルノは部屋から転がるように駆け出した。承太郎は「済んだ。」と言ったのだ。

「ジョルノ!」

 背中にかけられたミスタの叫び声をジョルノは無視した。ミスタとポルナレフは、自分ではなく空条承太郎を選んだのだ。ジョルノは悔しさのあまり、奥歯を割れるほどに噛み締めながら走った。

 温室の鍵を慌てて開け、薔薇を目指して走り込んだ。果たして、薔薇はいつもと変わらぬ姿でそこに美しい花を咲かせていた。

「やはりここへ隠していたのか。」

ジョルノは承太郎の抑揚のない声を聞き、「しまった!」と思ったがもう遅かった。気がついた時には空条承太郎は己よりも前に立ち、薔薇は炎に包まれていたのだ。時間を止められたのでは成すすべもない。薔薇の燃える様子はまさに異常な光景だった。生木が燃えているのにも関わらず、音ひとつ出ず、煙ひとつ立たなかった。黄色い薔薇はオーロラの様な炎につつまれて、ただ静かに、だが急速に枯れ果てていった。

「貴方は……貴方は二度も僕から父を奪うのですか?!」

 ジョルノはようやく追いついたミスタに羽交い締めにされながら承太郎に向かって叫んだ。ミスタはこんな風に動揺し、我を忘れたジョルノを始めて目にした。だがミスタはその様子に驚きつつも、冷静にジョルノを捕まえていた。かつて乱暴されていた女性を助けるために、飛び交う銃弾の中で相手の銃を奪った時と同じくらい、ミスタの頭は冷えていた。ミスタは早くこの温室から退散すべきだと思っていた。高く昇った炎はガラスの天井を静かに炙っている。古いガラスはもうすぐ割れて無数のナイフとなり、雨霰と承太郎や自分達の上に降りかかるだろう。面倒になる前に、早く温室からジョルノを引き摺り出さなくてはならない。

「ジョルノ……お前はあの男に、父親を求めるべきでは無かったのだ。」

 承太郎はジョルノに背を向け、燃え盛る薔薇を見つめながらそう呟いた。ジョルノはその言葉を聞いて、どうしたら承太郎を自分と同じように絶望させることが出来るかを考えはじめていた。今この温室に立っている人間たちが、殺し合う事にすっかり慣れてしまった人間だという事を、ジョルノは良く分かっていた。だからこそこの場面で、単なる死は解決を齎さないのだ。しかしこの世には、死ぬことよりもさらに苦しい絶望が存在するということも、ジョルノは良く知っていた。ジョルノは、承太郎には若い娘がいた事を頭の端で思い出していた。

 ジョルノの殺気に応えて承太郎が振り返った。さまざまな色に変わる炎を背負った承太郎は、恐ろしく静かな冷たい目をしていた。ジョルノはこの男こそ、人間の生き血を吸う吸血鬼なのではないかとすら思った。ジョルノは承太郎の向こうで燃える薔薇の木に視線を移した。火を消してまた命を与えたとしても、きっとこの薔薇はかつてと同じ姿を取り戻しはしないだろう。しかしそれでも、どうにかこの薔薇を守りたかった。ジョルノは自分の目が焼ける程に、その炎を見つめ続けた。

その時だった。

 炎の色が突然薔薇と同じ金に変わったのだ。そしてジョルノは確かに見た。承太郎の背中の向こう、鮮やかな炎の中に、見事な金糸の髪を持った、美しく大きな男の姿を。男が蠱惑的に唇の端を持ち上げ、鷹揚に笑って、その手をゆっくりと振り上げるところを。

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