承太郎さんは、狂った時計を背負って生きている。
時を止める。瞬きする間に時計の針が止まり、鳥の羽ばたきが止まり、人に踏みつけられた水溜りの飛沫が止まり、人々は表情を顔に貼り付けて、世界は静かに凍りつく。
止まっている時間の中で、承太郎さんはひとり孤独に立っている。静止した時間の中を動くことができるのは、その時間を支配している承太郎さんだけ。その時、承太郎さんに触れることのできる人間は存在しない。承太郎さんは自らが止めた世界に背を向けて、ひとり拳を握りしめている。
ずっと昔、静止した時間を承太郎さんと共有できる者がいた。しかしその人物は、皮肉にも承太郎さんの手にかかって死んだ。
だから承太郎さんはこの先永劫、静止した時間の中をただひとりで過ごすのだ。
―時は動き出す。
すると、止めてしまった時間の分だけ、承太郎さんが過ごした時間は長くなる。つまり承太郎さんは、世界を置いて少しずつ先へと進んでいるのだ。家族を捨て、感情を捨て、少しずつ本来の激情家の性質を脱ぎ去って、人間から離れていく。
一度でも時を止めたなら、承太郎さんの生きる時間と、承太郎さんが止めてしまった世界に流れる時間とは、未来永劫噛み合わない。
当然ながら、時間は不可逆的な性質を持っているからだ。
―時を止める。
その能力は、承太郎さんとその他の世界との間に、飛び越えることのできない逕庭を生み出している。
傷ついた承太郎さんの身体にそっと手を当てる。承太郎さんが名付けた俺の能力は「狂って」いるから、不可逆な時間の概念を飛び越えて、承太郎さんの狂った時計をなおす事ができる。俺は承太郎さんを癒す度、彼を世界に引き戻しているのだ。承太郎さんが愛し、それ故に置き去りにしようとしている、この世界に。
狂った時計をなおしてやれる人間は、この世にただ一人、俺しかいない。それは同じ様に狂った時計をもっている、俺にしか出来ない仕事なのだ。
Da vicino nessuno è normale.
0コメント